豊臣 秀吉(木下 藤吉郎,羽柴 秀吉)

説明するまでもないですか、そうですか。
サル、こと、禿ネズミ、こと、秀吉です。
背が低くて、くるくると動き回る元気な人。ある意味豊臣家のマスコット。(違
個人的に秀吉は天下統一するが好き。
朝鮮出兵辺りからの彼はおかしいんだもん…。ア、アルツハイマー??
寧々 (おね,ねい,北の御所(まんどころ)


秀吉の正室。
秀吉がまだ一兵卒だった頃から連れ添っている女性。
細かい所にも気がつく才女で、面倒見もよい。
秀吉が長浜城主になった頃から子飼衆の面倒を見、いつしか豊臣軍皆の母のような存在に。
秀吉との間に子供はいないが、子飼衆の皆や養子達がいるので寂しくはない。(むしろ騒がしい)
しいて言えば秀吉の女道楽が何とかならないかと日々頭を悩ませている。

関ヶ原の前に、加藤清正や福島正則に東軍につくよう言った。と言う説もある。
そんな事を言わなくてもあの二人は東軍についた気がしなくもない。
もっとも、寧々の意向があれば気兼ねなく東軍につけただろうが。
加藤 清正(夜叉丸,虎之助)


秀吉の子飼衆の一人。年が近い為かよく正則とつるんでいる。
熱心な仏教徒で、備後を半分ずつ拝領した行長とは決定的に気が合わない。
三成とも仲が悪い。でも吉継とは結構仲がいいかも。

かなりの潔癖症。厚底便所下駄は特注品。懐紙はいつも多めに持っていそう。
背はそこそこ高い。が、さらに威圧感を与えるためにでっかい兜をかぶっていた。
そうしたら予想以上に長身だと伝えられて内心焦ってたりするかもしれない。

朝鮮出兵時の虎退治の話は有名。でも教科書に載らなくなったので最近の子は知らないかもね。
かく言う私も歴史にはまるまで知りませんでしたが。
福島 正則(市松)


秀吉の子飼衆の一人。愛すべきお馬鹿。
清正より一つ年上な筈なのに清正より精神年齢は大分低いと思われる。
酒癖が悪く、そのくせ酒好きなのだから
性質(たち)が悪い。
お陰様で大事な槍(日本号)をとられてしまったりも。
この世で一番嫌いなのは家康。次点は三成。この世で一番怖いのは自分の嫁さん。

私が初めて正則についての話を覚えたのは幼稚園の時(推定4歳)。
車で広島城の前を通った時、歴史オタクである父に
「このお城のお殿様はねぇ、駄目って言われていたのにお城を直して怒られて、
それでお城を追い出されちゃったんだよ。」って聞かされた。
今にして思えば、あれが私の歴史好き人生の始まりだったのかもしれない。
ちなみに10歳になるまでお殿様=正則だとは知らなかった(笑
石田 三成(治部少輔,佐吉)


秀吉の子飼衆の一人。寺小姓だった時に秀吉にスカウトされた。以来秀吉至上主義者。
その時にお茶を三回に分けて出したから気に入られた、とかいう逸話が残っている。
ともかくも頭が良く、計算も得意だったらしい。
完全な文治派で、戦の折は兵站奉行等をする事が殆どだった。

吉継とは親友。彼らの友情秘話には心動かされるものが多い。
実は私、昔は三成嫌いだったのですが、吉継関連の文章を読むにつれて考え方が変わってきました。
何かこう、三成は…純粋だったんですよね。屹度。自分にも人にも嘘がつけない。
何処までも真っ直ぐでストレートだから、嫌われる人には嫌われちゃうし行き過ぎた事もしてしまう。
それで自分が作った
みの中に引きずり込まれちゃったかわいそうな人だったのかな、とか。
大谷 吉継(行部少輔,紀之介)


秀吉の子飼衆の一人。
いつ頃、どういった経緯で豊臣家に仕えることになったのかは分かっていない。
ついでに出身地も分かっていない。
なので、近江の出身で三成とは幼馴染であり、三成の推挙で仕えることになった、という説を採用。
だってこの説が個人的に一番好きだから。
いつ頃からかは分らないが
(らい)病(ハンセン病)を患っており、布で崩れた顔を隠していたという。
病の影響で失明し兜も被れなくなったのに、頭巾に鎧の絵を描かせ、輿に乗って戦場に出たらしい。

子飼衆年少組には紀ぃ兄と呼ばれていると良い。
三成と幼名で呼び合ったりしてたら萌える。…いや、有り得ないのは分かっているんですが。
小西 行長(魚屋 彌九郎)


大阪は堺の商人(薬屋)、小西隆佐の次男であると伝わっている。
初めは宇喜多家に仕えていた。仕えていたというか…ともかく親交が有った、と。
その後、豊臣に仕えることに。海上交通や海戦など、船を使う仕事が主だったらしい。
堺という国際色豊かな街で育ち、
しかも両親が熱心なキリスト教徒であったことから幼い頃にキリスト教の洗礼を受けている信者。
ちなみに洗礼名はアウグスチノ(アウグスティヌス、とも)。
関ヶ原では西軍につき、敗北。
しかし自ら命を絶つことは宗教的に禁忌である為、それを拒んで六条河原で斬首に処された。
小西 マリア


行長の娘。父の影響から、同じくキリスト教徒。
調べたけど洗礼名しか分からなかった当時の女性って名前が余り残ってないんですよね。残念。
どっかに嫁いだらしいけど関ヶ原以後の行方は不明。
西軍の、しかも主力軍の将の娘なら、ただでは済まされなかっただろうとは思うのだが…。
尼になる、という手も使えなかった(使わなかった)だろうし。
だってそれじゃあキリスト教を捨てる、っていう事になってしまうから。
どうなんだろう…勢いでデザイン決めてしまったから、実はまだよく分かっていない人物の一人。
細川 忠興


細川幽斉の嫡男。
三成嫌い同盟の一人(何その括り)。
嫁さんラヴ。とにかく大好き。ああもう外にも出したくない。
前髪の分け目までこっそりお揃いにしてしまった。
於玉と歩いていて、ある大工の視線が気になったので
「俺の於玉に色目使ってるんじゃねえ!」とついつい斬り殺してしまった。
その後於玉には外出禁止令を出した。つまり軽く軟禁した。
ちょっと(?)行き過ぎているけど全てはアイユエニ!
好きなことは於玉の膝枕でする昼寝。好きな食べ物は於玉の手料理全部。
長期間於玉に会っていないと禁断症状が出る。特効薬は於玉、もしくは彼女からの手紙。
細川 ガラシャ(明智 玉)


明智光秀の娘にして、細川忠興の妻。
本能寺の変の後、明智一族の中で唯一生き残った人である。
侍女を通じてキリスト教にふれ、熱心な信者になった。
理由は愛について深く考えたくなったから。
忠興の事は愛しているけれど、彼の愛は正直、重い。
三成の人質大作戦の折、捕えられることを良しとせず、又自害もできないので
家来の一人に斬らせ、更に家に火を放たせて亡くなった。
池田 輝政


織田信長家臣池田恒興の次男。本能寺の変後、豊臣方についた。
(織田時代より豊臣時代の方が長いのでこっちにのっけときます。)
小牧・長久手の戦いで父・恒興と兄・元助(元助?)が亡くなったので後を継ぐことに。
正直当人よりも彼が大改修したお城・姫路城の方が有名。

輝政について調べててもいまいちよく分らなかったのでお城について調べてみたら
意外や意外。かなりの怪談奇談が有るんですねって事で輝政は「みえるひと」ってことに(笑
グラサン越しに色々見てます。
ちなみにこのグラサン、
右側の弦の付け根を押すとコ○ンの○ール型発信機○跡眼鏡よろしくアンテナが伸びて、
幽霊の探索ができます。鬼○郎の妖気アンテナみたいなもんです。

ちなみに三成が嫌いです。
淀君 (浅井 茶々)


浅井長政とお市の方との娘。確か長女。
賤ヶ岳の戦の後豊臣家に保護され、秀吉の側室となり、後継ぎとなる秀頼を産んだ。
…まぁ秀頼が秀吉の息子かどうかは置いておいて。私は違うと思いますけどね。
お市の方の美貌と、長政のふくよかな(笑)体型を受け継いだ美しい顔と豊満な体つきが自慢。
秀頼を産んだことで寧々に対する対抗心がメラメラと湧き上がってきた。
又以前経験した二度もの落城によって、何かしっかりした物に縋っていたいという欲求が強い。
その縋っていたいものが、大阪城であり豊臣家だった、と。
気が強くて我儘なのはその不安定さの裏返し。
大坂の陣の時の彼女の悲痛な気持ちを考えると多少なりとも胸が痛む。
…私は彼女の事、好きにはなれませんが。
小早川 秀秋(金吾)


もともとは秀吉と寧々の養子で、後に小早川家へ養子に出された。
気が弱くて決断力も無い、秀吉に甘やかされて育った自分じゃ何もできないボンボン。
唯一厳しく躾て呉れた寧々は正直怖くて仕方がない存在に。…親のように慕ってはいるけどね。

関ヶ原の合戦の帰趨を決めたある意味最重要人物。
この時に秀秋が西軍を裏切っていなかったら結果は変わっていた…かもしれない。
この裏切りが原因で戦死した吉継に祟り殺された、という説が有ったりする。
まんざら嘘じゃなさそう…というか、裏切った罪悪感とか、吉継の言葉を聞かされての恐怖とか、
そういったところから来るストレスから病気になるなり何なりしたんじゃないのかな。
なーんて、言ってみる〜。にゃは。







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